東京大学理学部天文学科は1877年(明治10年)に東京大学の創設と同時に理学部第2グループの数学科、物理学科と共に星学科として発足した。 翌1878年(明治11年)理学部学生の実習用に観象台が設置され、1882年(明治15年)には天象台と気象台に分離されて前者のみ東京大学にとどまった。
1886年(明治19年)に理科大学が制定されて旧東京大学理学部を継承したが、その7学科の一つとして星学科が開設された。 1888年(明治21年)天象台が麻布飯倉に移転して東京天文台となるに及んで星学教室も同所に移った。 1924年(大正13年)に東京天文台は三鷹に移転したが、星学教室は同所に留まった。 この間1919年(大正8年)に理科大学は再び理学部に改められ星学科は天文学科と改称された。 1921年(大正10年)には、東京天文台が理学部を離れて東京大学附置の研究所となった。
第二次大戦中、天文学教室は戦況の激化に伴い1945年(昭和20年)3月上諏訪に疎開した。 麻布飯倉の教室は1945年(昭和20年)5月空襲により消失した。 同年10月に疎開先から戻った天文学教室は、一時本郷キャンパス内に仮教室を置いたが、1947年(昭和22年)4月再び飯倉に戻った。 この上諏訪疎開の記録は「されど天界は変わらず」(東京大学理学部天文学教室OB編、龍鳳書房、1993年)に詳しい。
1949年(昭和24年)に新制東京大学が発足し、1951年(昭和26年)天文学科は物理学科天文学課程と改称されたが、1967年(昭和42年)に再び天文学科に戻った。 この間1960年(昭和35年)には、長く過ごした麻布飯倉の地を去り、東京大学本郷キャンパスの浅野地区に新築された理学部3号館に移転した。
1988年(昭和63年)7月に、東京天文台が東京大学を離れ大学共同利用機関の国立天文台として改組されたのにともない、東京大学には木曽観測所を擁する天文学教育研究センターが三鷹に新設され、本郷の天文学教室と協力して東京大学における天文学の教育と研究に当たることとなった。
1995年(平成7年)には、本郷キャンパス内に分散している理学部の学科や施設の集中化計画の中核となる理学系研究科・理学部1号館新設の第一期工事が着工され、1997年(平成9年)に安田講堂裏に12階建ての第一棟が完成した。 これに伴い同年12月に天文学科は、講義室や実験室などを3号館に残し、主要部分を新設された1号館の11階に移転した。 浅野地区の3号館は1999年(平成11年)に大規模な改修工事が行われた。
大学院は1953年(昭和28年)、修士課程2年、博士課程3年の新制東京大学大学院として発足し、天文学の課程は数物系研究科天文学専門課程とされた。 その後1965年(昭和40年)に、数物系は理学系と工学系に改組され、天文学課程は大学院理学系研究科天文学専門課程となった。 なお1987年(昭和62年)に専門課程は専攻と改称されたので、大学院理学系研究科天文学専攻として現在に至っている。
1993年(平成5年)度に天文学科は、東京大学の大学院重点化構想に基づく大学院部局化により、大学院理学系研究科天文学専攻の天文宇宙理学講座という名前の大学院講座に改組された。 これに伴い、教官・職員は大学院の天文学専攻が主務となり理学部の天文学科が兼務となった。
1999年(平成11年)4月のビッグバン宇宙国際研究センター(大学院理学系研究科附属施設)の発足にあたり、天文宇宙理学講座のポストを一つ振り替えた。
2004年(平成16年)、東京大学をはじめとする国立大学は、それぞれ法人組織となり、東京大学は国立大学法人東京大学となった。 この法人化に伴い様々な変革がなされた。 大学院天文学専攻は、天文学教室から成る基幹講座(天文宇宙理学講座並びに広域理学講座)、天文学教育研究センターとビッグバン宇宙国際研究センター(一部)から成る協力講座(それぞれ観測天文学講座並びに初期宇宙データ解析講座)、それに独立行政法人宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部並びに大学共同利用機関法人自然科学研究機構国立天文台(それぞれ一部)の教員が参加する連携講座(それぞれ学際理学講座並びに観測宇宙理学講座)から成る体制に整備された。